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長野地方裁判所松本支部 昭和46年(ワ)15号 判決

原告 福田隆 外二名

被告 宮沢末吉

主文

被告は、原告福田隆に対し、金一、五〇〇、〇〇〇円、原告福田佐田郎、同福田きく江に対しそれぞれ金六〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四六年二月六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り原告福田隆において金五〇〇、〇〇〇円の、原告福田佐田郎、同福田きく江において各金三〇、〇〇〇円の担保を供するときは、その原告につき仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

1  原告ら

「被告は、原告福田隆に対し、二、七三八、五一三円、原告福田佐田郎、同福田きく江に対し各一五〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四六年二月六日より完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決および仮執行の宣言

2  被告

「原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。」

との判決

第二、原告らの請求原因

一、被告の職業

被告は、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師柔道整復師等に関する法律」二条一項の免許を受けた柔道整復師であり、肩書地において、「宮沢整骨院」の名称で開業しているものである。

二、被告の診療行為と原告隆の左足切断に至る経過

(一)  原告福田隆(以下単に隆ともいう。)は、昭和四四年一二月三一日午前一一時半ごろ、松本市新村松本電鉄上高地線北新駅構内で左足首に負傷し、直ちに被告方において被告の診察を受けたところ、被告から左足両踝に皹裂骨折がある旨診断され、低周波による電波療法を受けた後患部に湿布薬を塗布され、そのうえにぬれた脱脂綿をあて、包帯を数回巻く手当を受けた。そしてその際被告から「一月一日と二日は休診であるから三日に治療を受けに来ること、その間自宅で安静にし、二時間おきに包帯の上から冷水で患部を冷やすこと」を指示され冷水にとかす粉末の冷し薬の交付を受けて帰宅した。

(二)  隆は、被告の指示に従い自宅において右粉末薬を一升びん一杯の水に解いてこれを二時間おきに患部にひたして冷したが、翌一月一日午前一一時ごろから患部が凍つているような感じになつたので冷やすのを中止した。

ところが同日深夜に至つて患部に激しい疼痛が生じ、翌二日の明け方にはようやく痛みがやわらいだが、次第に患部の感覚が薄れ、その皮膚に触れるとあたかもしびれたような感じとなつた。

(三)  一月三日隆は被告方で再び被告の診察を受け、その際「一日の午後からは冷めたくて痛いので冷やすのを中止した」旨答え、被告は前同様電気療法および湿布薬・包帯のとりかえをし、翌日来院するよう指示した。一月四日被告は、前日と同様電気療法および湿布薬のとりかえをし、患部について「内出血をしているから片足ででも歩いてはいけない」旨注意を与え、翌日も来院するよう指示した。そして一月五日にも、同様電気療法と湿布薬・包帯のとりかえをし、「患部に靴下を着用するか真綿で包むようにし、翌日も来院すること」を指示した。

しかしながら、後記のとおり一月四日以降は既に隆の患部に凍傷の徴候が現れていたにもかかわらず、被告はこれに関して何ら特別の措置を講じなかつた。

(四)  ところで隆は知人のすすめもあつて一月六日たまたま松本市島立杉山外科医院において診察を受けたところ、左足首付近が重い凍傷にかかつていることおよび左足両踝に皹裂骨折がある旨診断された。そこで翌七日右杉山医院に入院し治療を受けたが左足首大部分の凍傷を受けた組織は遂に回復しないで脱落し、これがために同年三月一二日やむなく左下腿の下から約三分の一付近を切断するほかなかつた。

(五)  隆の左足の先および足底は一月六日杉山医師診断の際には専門医によつても回復不可能な重度の凍傷を負つていたのでありその付近も、もし何ら手当をしなければ壊死に至るところであつた。この凍傷は、一月一日の午後七時ごろから翌二日朝方にかけて包帯の緊縛および腫脹による血行障害をきたしていた患部を冷水で冷却したために生じたものであり、その後徐々にその付近で組織の凍結がすすみ、次第に知覚麻痺状態に陥り一月四日ころからは凍傷のため皮膚の色が変化するなどして外部からも認識できる状況であつた。

三、被告の責任

1  債務不履行(不完全履行)による責任

被告は、前記のとおり昭和四四年一二月三一日原告隆から、左足首に受けた負傷について診療の依頼を受けこれに当つたのであるから、同人との間に同日右負傷につき適切な診断および治療をする旨の契約が成立したものである。従つて被告は、その債務の本旨に従い善良な管理者の注意をもつて適切な診断と治療をする義務があるところ、被告のした前記診療行為は次に述べるとおり債務の本旨に反する不完全なものであつた。

そして、この不完全な治療行為により隆をして左足切断という結果に至らせ、原告らに後記損害を被らせたものであるから、被告は、右損害につき債務不履行(不完全履行)による賠償責任がある。

(一) 被告は、柔道整復師であつて、骨折の場合には応急手当以外の措置はできないのであるから、一般に新患者の治療を行なうにあたつては、負傷の原因、負傷時の状況などを詳細に患者に問診し、かつ患部の状況を触診等の方法によつて明らかにし、右負傷が単なる捻挫なのか、骨折なのかを正しく判断し、骨折と判断した場合あるいは骨折とは断定できないが捻挫とも断定できない場合は、応急手当の後はすみやかに適当な医師の治療を受けるように指示すべきである。しかるに被告は、隆に対し負傷の際の状況を詳細に聞くことなく、また患部の腫脹が普通の捻挫の場合よりひどかつたのであるから応急手当の後は医師の治療を受けるよう指示すべきであつたのにこれをしなかつた。

(二) 被告は、一二月三一日の治療にあたつては、患部の腫脹がこれからもひどくなることを予測して、ゆるやかに包帯を巻き、血行障害に陥らぬよう注意すべきであり、また翌一月一日、二日は休診でこの間患者自身に治療をゆだねているのであるからこのような場合には周囲の状況如何によつては患者自身の治療で患部の悪化をきたしたり、他の傷病に陥つたりすることがあることに鑑みこれに対する万全の措置を講ずるべきであつた。しかるに被告は、これらの配慮を怠り、漫然と「一日、二日は休みだから三日に来院すること、冷し薬を一升びんに溶かし二時間おきに冷すこと、安静にしていること」を指示したのみで、緊急の場合の措置等について何らの指示も与えなかつた。

(三) 一月三日の診察の際隆は被告に「冷たくて痛くて一月一日の午後には冷やすのを中止した」旨答えているのであるから、被告は一二月三一日から一月二日までの患部の状況、特に痛み、腫脹等の経過を詳細に問診して、患部の病状の判断、治療方法に万全を期すべきであつたにも拘らず、隆が冷やすのを中止したのを非難するのみで、なぜ中止したかを探り、患部の変化を見い出すことをしなかつた。

(四) 一月四日の治療の時は、すでに患部は表面の皮膚の色の変化をきたし、明らかに凍傷の初期の症状を呈していたのであるから、被告はこれを発見し、早急に専門医の治療を指示すべき義務があつたのにこれを発見できず、色の変化については捻挫による内出血と誤診し、隆に対し患部は治癒の方向に向かつていると説明して安心させ、従前の治療方法を続けたのみであつた。柔道整復師としては、患部の皮膚の色、体温の変化には常に注意を払い、わずかの変化をも発見して治療方法を考え、疑わしい症状があるときは直ちに専門医に依頼すべき義務あるところ、一月四日の治療の際患部の症状は右のとおりであり、さらに翌五日に至ると、ますます患部の皮膚の色が変化してきたのであるが、これをも発見できなかつたことは診療に重大な欠陥があつたものというべきである。

2  不法行為による責任

被告は、隆の診療を行うにつき前記1の(一)ないし(四)に記載のとおり債務不履行があつたが、他面このことは柔道整復師に課せられた一般的注意義務にも違反したものというべきであり、かつ右注意義務違反により、同人の左足切断の結果を招来したものであるからこれによつて生じた後記損害につき不法行為による賠償責任がある。

四、原告らの損害

1  原告隆の損害

(一) 杉山医院入院治療費合計 金六八、五一三円

(二) 逸失利益 金一四七万円

原告は満一八歳から六〇歳までは労働可能であるが左足切断の事故がなければ、少くとも年間三三万円(一か月当り二七、五〇〇円)以上の収入をえることができたところ、下腿切断の事故により労働能力の五分の一を喪失したものというべきである。そこで右喪失額総額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除するとその逸失利益の現価は一四七万円(千円未満切捨)である。

(三) 慰藉料 金一二〇万円

2  原告佐田郎、同きく江の損害

慰藉料 各金一五万円

原告佐田郎、同きく江は隆の父母として本件につき多大の精神的苦痛を受け、これを金銭に見積れば各自一五万円が相当である。

五、よつて原告らは被告に対し債務不履行若しくは不法行為による損害賠償として原告らの被つた前記損害額およびこれに対する本件訴状が被告に到達した日の翌日である昭和四六年二月六日より各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁と主張

一、答弁

請求原因一の事実は認める。

同二の事実中原告隆が昭和四四年一二月三一日正午ごろ被告方に来院し、被告の診療を受けその後翌年一月三日、四日、五日にそれぞれ来院して診療を受けたこと、その後杉山医院で診察を受け原告ら主張のころ左下腿切断の手術を受けたことは認めるが、被告が隆の負傷について皹裂骨折の診断をしたこと、被告が隆を治療していた期間即ち一二月三一日より一月五日までの間に隆が左足に凍傷を負つたことおよびその間に左足に凍傷の徴候が現れていたことは否認する。隆が被告の診療を受けるに至つた負傷の原因は知らない。被告が右の期間隆に対してした診療行為は後記のとおりでありこれに反する事実、特に一二月三一日に「一月三日に来院すること、患部を二時間おきに冷やすこと」を指示したことは否認する。

同三のうち1の債務不履行の主張は争う。なお1の(一)ないし(三)の主張中被告が隆に対してした診療行為は後に述べるとおりであつて、これに反する原告の主張は否認する。同2の不法行為の主張は争う。

同四のうち原告佐田郎、同きく江が原告隆の父母であることは認めるが、その余の主張は争う。

二、主張

1  被告の治療行為

被告が原告隆に対して行つた診療行為は以下に述べるとおり適切なものであつてこれには誤りがなく、従つて被告に債務不履行の事実はない。

(一) 隆は、昭和四四年一二月三一日正午ごろ被告方に来院し、「松本電鉄北新駅のホームからとびおりたところ左足をくじいた」と説明して治療を求めたので、被告が診察したところ、左足踝付近が腫れており足首の屈伸、歩行に際し疼痛を訴えるので、被告は捻挫と診断し、(イ)低周波医療器カタプラスマーによつて患部に電波的刺戟を与える療法を約二分間行い、(ロ)湿布薬ミントールを蚕座紙(油紙)に塗布した上に薄紙をのせたもので患部を包み、さらにその上にぬれた脱脂綿をあて、これを包帯で五、六回巻く治療行為をした。そしてその際隆に対し「帰宅後安静を保ち、患部を座布団四つ折りにした上に乗せて寝ていること、歩行は厳に慎むこと、四時間おき位に包帯の上から少量の冷水を加えて患部を冷やすこと、足先が冷たいと思つたら真綿で包むかスキー用の厚い毛糸の靴下をはくこと、正月一日は休診であるが二日午前中に来院すること」を指示し、冷やす際の冷水に加えるよう「桃源」の粉末約一グラムを紙に包んで交付した。

なお右ミントールの成分は、一〇〇グラム中ベントナイト(白土泥)四八グラム、ハツカ油〇・五グラム、サリチル酸メチール〇・二五グラム、明ばん〇・二グラム、石鹸カンフルリニメント〇・三グラム、その他は水分であつて患部を冷やすのに用いられ、「桃源」は冷やし薬ではなく、市販のバスクリーンなどと同じ浴剤で、肌荒れを防ぐためのものである。

(二) 原告隆は一月二日来院せず、翌三日に来院したが、その際患部は未だ腫れが認められ、湿布薬および脱脂綿は完全に乾いていたので被告が患部を冷やしたかどうかたずねると、隆は、「三一日に一回冷やしたが冷めたいのでその後冷やさなかつた」旨答えた。そこで被告は前記低周波療法を二分間施し、ミントールをとりかえ、隆に帰宅後六時間おきに水で冷やすことおよび翌日も来院するよう指示して帰宅させた。

(三) 一月四日隆が来院したので包帯を見ると湿布薬および脱脂綿が乾いていたので被告は同人に冷やしたかどうかたずねると一回冷やしたが冷めたいのでやめたと答えた。被告は患部の腫れがやや引いていたので前日と同様の治療を行い(低周波療法は五分間)、帰宅後は冷やさなくともよいことおよび翌日の来院を指示した。

(四) 翌五日隆が来院し、患部の腫れは大部引いており好転していることが認められた。そこで前日と同様の治療を行い、翌日も来院するよう指示した。

しかし六日以後は来院しなかつた。

(五) 被告は一月三日以降各治療に際し原告隆が靴下もはかずに素足のままでいるのでその都度足先の保温に注意するよう説得したが、隆はその指示に従わず、毎回包帯の汚れがひどく、新しいものととり替えなければならない程で、安静を保つようにという被告の指示にも従わなかつたのである。

2  原告隆の左下腿切断は以下に述べるとおり被告の治療行為とは関係がない。

(一) 原告隆が杉山医院の診察を受けた一月六日に原告ら主張のとおり重度の凍傷によつて壊死を生じていたとすれば、その時点で切断術が施されたであろう。しかるに隆の左足切断はその後二か月余を経た三月一二日であることからすれば、原告の左足首壊死は凍傷以外の原因例えば結核性若しくは梅毒性壊疽によるものと考えられる。

(二) 仮に原告隆の左下肢切断が凍傷に起因するものとしても、次の事実からすれば凍傷にかかつたのは昭和四五年一月五日から六日にかけてのことである。

(1)  隆は、前記のとおり一月三日、四日、五日にそれぞれ被告方に来院して治療を受けたが、左足首付近には凍傷の自覚症状は全くなく、被告もその部位に捻挫以外の病変を認めていない。

(2)  隆は、一月一日から二日にかけて外出せず居宅で炬燵に当つて過ごしていたのであり、部屋は石油ストーブで煖房されていたのであるから患部を水で強く冷やしたとしても、凍傷を起すほど異常に冷やされるということはありえない。

ところが一月四日から六日午前中までは気温がかなり低く、六日の午前四時から八時にかけて氷点下一四度に達した。原告はこの間に被告方に来院したほかに被告からの保温・安静の指示に従わず歯科医に行つたり友人宅に遊びに行つたりし、六日朝に杉山医院に行つた。

(3)  凍傷により水疱を生ずるのは受傷後約一二時間と考えられるところ、隆の患部に水疱を生じたのは入院後である。

(三) 仮に凍傷を生じたのが一月五日以前であつたとしても次に述べるとおり右凍傷は、被告の行つた治療行為又は被告の指示に起因するものではない。

被告は隆の患部を治療するに当つてことさらに包帯で締めつけることもなく、ふくらはぎや足先の部分迄包帯を巻いたこともなく、捻挫の患者は被告の扱う者のうち最も多く、その措置は前記のとおり定型化しており、患部の血行に著しい支障を来すものでもないから、隆が原告の指示どおり自宅で安静にしていたとすればたとえ二時間毎に冷水で患部を冷やしたとしても、これで凍傷になるものではない。

これが転じて凍傷を惹起するのには患部に格段の寒冷が作用しなければならないところ、被告はこのような特段の状況の変化を予見できなかつたし、高校生として通常の知能を備えている隆が自己の身体の保温状況には相応の注意を払うべきであり、又寒冷感覚を識別できない筈はないのであるから、右のような特別の状況から凍傷になつたとしても被告にその責任を求めることはできない。

第四、被告の抗弁

一、和解契約

仮に原告隆の凍傷が被告の治療行為に起因するものでありかつ被告に責任があるとしても、原告佐田郎は、原告隆同きく江をも代理して、被告との間に昭和四五年一月三〇日、被告から金四万円の支払を受けることによつて原告らが以後何らの金銭的要求をしない旨和解契約を締結した。

しかして隆は当時杉山医院に入院加療中で患部の症状については原告佐田郎が杉山医師より充分説明を受け、今日の結果についてもこれを予見することができたのであり、かつ被告のした治療行為や要求される注意義務の範囲程度からみて右和解契約の内容は社会的に妥当なものである。従つて被告の治療行為に起因する原告らの損害賠償請求権は右和解契約により消滅した。

二、過失相殺

仮に隆の左足切断の結果について被告に賠償責任があるとしても、このような結果を生むに至つたことについては次のとおり隆にも過失があるから右過失は損害賠償額の算定について斟酌されるべきである。

原告らの主張によれば、隆は一月六日杉山医師の診察を受けたときは既に重度の凍傷にかかつていたのである。そこで同医師は隆に直ちに入院が必要であることを説明したにもかかわらず同人は家人に相談しなくてはならないからといつて直ちに入院しなかつたばかりか、その後前記のとおりふだんより著しい寒気の厳しかつた一月六日に同医院から歩いて帰宅するなど無暴なことを敢てし、同夜患部に激痛があつてようやく翌朝家人に付添われて杉山医院へ入院したのである。このような隆の常人離れした無暴な性格が受傷とその悪化を招き、ひいては二か月にわたる治療にもかかわらず左足切断の結果を招来したものである。

第五、抗弁に対する原告らの答弁

抗弁一の事実中原告佐田郎が被告主張の日に被告より金四万円の交付を受けたこと、当時隆が杉山医院に入院加療中であつたことは認めるがその余の事実は否認する。

仮に被告と原告隆らとの間に被告主張の和解契約が認められるとしても、原告らが当時杉山医師から足の切断について何らの説明も受けておらず、このような事態を予想することは不可能であつたから、右和解契約は無効である。

抗弁二の事実中隆に被告主張の過失があつたとの点は争う。

第六、証拠関係〈省略〉

理由

一、準委任契約の成立

被告が「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師に関する法律」(以下「柔道整復師等に関する法律」という。)二条一項(現行「柔道整復師法」三条)の免許を受けた柔道整復師であり、肩書地において「宮沢整骨院」の名称で開業していること、原告隆が昭和四四年一二月三一日左足首に負傷し、同日被告方で同人の診療を受け、その後昭和四五年一月三日、四日、五日の三日間にわたつて引き続き治療を受けたことは当事者間に争いがない。

そうすると、被告と隆との間には昭和四四年一二月三一日被告が隆の負傷について柔道整復師として許容された診療行為の範囲内で、同人のために適切な診断・治療をする旨の準委任契約がなされたものと解するのが相当である。

二、被告の診療行為と隆の左足切断に至る経過

成立に争いのない甲一、二、三、五号証、被告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙一、二号証、医師杉山昭弐が昭和四五年一月六日撮影した隆の左足のレントゲン写真であることについて当事者間に争いのない乙五号証、証人杉山昭弐、同福田秀利、同原沢要祐、同宮沢範子の各証言、原告らおよび被告各本人尋問の結果(いずれも後記信用しない部分を除く)を総合すれば次の事実が認められる。

1  原告隆(昭和二九年二月二三日生)は、長野県立梓川高校一年に在学中の昭和四四年一二月三一日午前一一時ごろ自宅(肩書住所地)付近の松本市新村松本電鉄島々線北新駅で遊んでいるうち、同駅ホーム(高さ約二メートル)から飛び降りた際に左足首に激痛を生じ、その付近が急に腫れてきたので直ちに兄の福田秀利に自転車に乗せてもらい同所から約一キロメートル離れた被告方に行き同日午前一一時三〇分ころ被告の診察を受けた。被告は隆から北新駅ホームで左足首をくじいて痛みがあるとの説明を受け、左足内踝および外踝に腫脹がみられたこと、屈伸の際疼痛を訴えることなどから左足首捻挫と診断し、まず神経・筋肉に対し興奮と鎮静の作用をする低周波治療器(カタプラスマー)で約二分間低周波による刺戟を与えた後、ベントナイト・ハツカ油・サリチル酸メチール・明ばん等を主成分とする湿布薬ミントールを油紙に塗布してその上に薄紙を乗せてぬれた脱脂綿を当て、さらにボール紙で固定しその上に包帯を巻く治療をした。そして隆に対し、捻挫としては重いので自宅で患部を座布団四つ折にした上に乗せ安静にしていること、一月一日と二日は休診であるから三日に来て診療を受けるよう指示したほか肌荒れをふせぐための「桃源」と称する粉末約一グラムを与えて一升びんの冷水にとかしたうえ患部の包帯の上から右冷水少量を二時間おき位に掛けて冷やすように指示して帰宅させた。

2  隆は帰宅後自宅六畳の間で右足は炬燵に入れ、左足は被告の指示に従い座布団を四つ折にした上に乗せて毛布を掛け兄の秀利らに約二時間おき位に冷水を患部包帯の上からひたしてもらい、テレビを見るなどして過ごし、翌一日午前四時ごろから眠つた。なお部屋には暖房として右炬燵のほか石油ストーブ一個があつたが就寝後は消されていた。一月一日も同様の方法で患部を冷やしたが、午後七時ごろからは患部一帯が極度に冷めたい感じがし、しかも冷えたときに感ずるような疼痛を覚えたので冷やすのを中止した。しかし同日夜半からさらに激しい疼痛におそわれ睡眠もできないほどであつたが、その後次第に痛みが薄れて眠つた。翌一月二日は特に著しい変化はなかつた。

3  一月三日午前九時ごろ隆は友人の原沢要祐に自転車に乗せてもらい被告方に行き、被告から前回と同様の治療を受けたが特に疼痛はなかつた。なお隆は同日ごろ原沢に自転車に乗せてもらい歯科医にも赴いた。一月四日も前日と同様午前九時ごろ右原沢に自転車に乗せてもらい被告方へ行き同様の治療を受けた。その際患部付近の皮膚が暗赤色を呈していたので、被告は捻挫が治癒する過程で現れる溢色斑と考え、隆に症状は好転した旨説明したが、左足下腿が冷めたかつたことから、それまで素足のままで来院していた隆にスキー用の靴下をはくよう指示した。そこで隆はたまたま右原沢がはいていたスキー用の毛糸の靴下を借りてはいた。一月五日も前日と同様午前九時ごろ原沢に自転車に乗せてもらい被告方へ行き前日と同様の治療を受けたが、患部付近は依然暗赤色を呈しており、疼痛はなくまた触つても触覚がなかつた。

4  隆は同日帰宅後右原沢の家へ遊びに行き、その夜は同人宅で泊つたが、その折原沢の家人から杉山医院で一度診察してもらつてはどうかといわれ、翌六日午前九時ごろ松本市島立の杉山外科医院で医師杉山昭弐の診察を受けた。

杉山医師は、隆から前記負傷および治療の経過の概要をきき、特に被告方で治療中に足の色が変つたとの説明を受けたが診察の結果、左下腿(膝下)全体が凍傷にかかつていて暗赤色を呈し、氷のように冷たく、特に爪先、足底および足踝は黒色を呈し、凍傷による壊死状態でこの部分については組織の再生が困難な状況にあり、また同日のレントゲン写真撮影の結果左足外踝に約数ミリメートルの皹裂骨折のあることが判明した。

そこで同医師は、隆の左足をぬるま湯に入れて暖めたうえマツサージをしたが、疼痛はよみがえらず、腫脹をとる注射をした。同医師は隆に対し、右診断の内容を伝え、患部に血液の循環が戻らなければ重大な結果に至ることを告げ、直ちに入院して治療を受ける必要のあることを説示した。

これに対し隆は、急に入院といわれても困ること、明日もう一度来るといつて帰宅した。

5  ところで翌七日未明患部に耐え難い激痛が生じ午前七時過ぎ父に伴われてタクシーで杉山医院にかけこみ、入院し以後連日注射、マツサージ等左下腿につき血行の促進、腫脹の除去および壊死状組織の回復のための措置が施されたが、爪先や踵部分の組織はついに回復するに至らず、次第に脱落状態になつてきたため、同年三月四日右部分のみ切断する手術が行われた。

同医師は、当時壊死が指および踵以外に及んでいないときはその部分のみの切断にとどめ、下腿の切断を要しないこともありうると考えていたが、爪先および踵部分を切断したところ、壊死が深部にまで及んでいることが明らかになつたため、下腿の切断もやむをえないものと判断し、同月一二日左下腿下三分の一付近を切断した。

証人原沢、同宮沢の各証言、原告隆、被告各本人尋問中右認定に反する部分は信用しない。

三、凍傷の発生の時期と原因

そこで右に述べた凍傷がいついかなる原因で生じたものであるかについて検討する。

1  成立に争いのない甲五号証、証人杉山の証言および経験則によると、(1) 凍傷の誘因は、もとより寒冷であるが、気温が零度以下でも凍傷にかかるとは限らない反面零度以上でも組織の障害を受けることがあり、凍傷は低温が身体に作用する時間、血管の状況等と密接な関係があるほか全身的素因として安静の不良、局所的素因として圧迫(これによる血行の障害)と湿潤(水の蒸発による奪温)が凍傷を誘発する極めて悪い原因をなすものであること、(2) 凍傷の病理的変化は、まず皮膚表面に存する小動脈、毛細管が収縮し局所が血液減少のため皮膚が蒼白となり、次いで小血管、毛細管壁が麻痺し、これに動脈血が流れるため皮膚が発赤しさらに寒冷の作用が継続すると、小動脈も収縮をきたし、他方麻痺拡張した毛細管には静脈性血液が鬱滞して皮膚が紫藍色又は暗赤色を呈し遂に壊死に至ること、(3) 凍傷の症状は、まず寒冷感に続いてさらに寒冷が作用すると疼痛(凍痛)がおこり、次第に知覚が麻痺するに至るがこの段階で加温、マツサージ等をすると再び激しい疼痛が生ずるものであることが認められる。

2  ところで前記二において認定した事実、特に隆が一二月三一日被告の診療を受けて自宅に帰つてから翌一月一日の午後七時ごろまでの間、約二時間おきに患部を冷水で冷やしていたこと、同人が一月四日被告の指示を受けるまで患部に靴下をはくなど保温の措置をとらず、被告の診療を受ける際にも、また歯科医や友人宅へ行く際にも寒気の中を自転車に乗せてもらつて往来していたこと、一月六日杉山医師の診療を受けた際には膝から下が極度に冷たく指先や踵付近に重度の凍傷で壊死状熊であつたこと、三月六日のこの部分の切断の際壊死の状態が右の部分にとどまらずさらに深部にまで及んでいることが判明したことの各事実のほか、成立に争いのない乙七号証によれば、松本地方の昭和四五年一月一日以降同月六日までの最低気温は氷点下二度ないし一四度であり、日中の最高気温も二度ないし五度であつたことが認められ、これらの各事実に証人杉山の証言を総合すれば、隆の左足踝付近から先は腫脹および包帯の緊縛のために血行が著しく阻害されていたのに加え、湿布薬および冷水によつて湿潤し冷却されていたこと、素足のまましばしば寒い外気に触れたことなどの悪条件が重なり合い一月一日の夕刻ごろから軽い凍傷にかかり、その後かなり徐々に悪化し、一月四日ごろは捻挫による溢血斑のほかに患部付近、特に爪先、踝、足趾の皮膚が凍傷によつて暗赤色に変化しはじめ、一月五日にはこれがさらに強まつていたことが認められ、この認定に反する被告本人尋問の結果は信用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

四、被告の不完全履行について

1  まず被告が隆を最初診療した際に医師の診療を受けるよう指示しなかつたことが債務の本旨に反するものであるか否かについて考える。

(一)  柔道整復師に許された柔道整復とは打撲、捻挫、脱臼および骨折に対して、外科手術、薬品の投与またはその指示をする等の方法によらないで応急的若しくは医療補助的方法によりその回復をはかることを目的として行う施術を指称するものと解する。そして右のうち脱臼および骨折については応急手当をする場合以外は医師の同意がない限り患部に対する施術は許されない(柔道整復師等に関する法律四条、五条)のであるが、捻挫についてはかかる制約がない。このような法意に鑑ると、柔道整復師は新患者を診察治療するに当つては、負傷の時期、原因、態様、医師による診断の有無、患部の状況、疾患の経緯などを問診、触診等の方法により詳細に検討し、脱臼又は骨折があると判断した場合はもとよりのこと脱臼又は骨折があると断定できない場合でもこれを疑うべき相当の理由がある場合には応急手当として患部を一応整復する措置を講ずるにとどめ、それ以後は医師の同意がない限り引き続き治療することができないものといわなければならない。しかし他方柔道整復師は捻挫について右のような制限なしに治療行為を行うことができること、捻挫が常に外力によつて生ずるものである以上、いかに軽度な皹裂骨折の如きでさえも全くありえないとすることはできないから、捻挫の際に生じた極めて軽度の皹裂骨折で、レントゲン写真によらなければ確認できずしかも捻挫の治療の過程で自然に治癒する程度のものであつて前記の総合的観点から検討してもこのような骨折を通常予想できないような場合には、応急措置にとどまらないで以後の治療行為もできると解するのが相当である。

(二)  本件についてみるに、前認定のとおり隆の左足外踝には数ミリメートルの皹裂骨折があり、右骨折は同人が左足首を捻挫した際に生じたものと考えられるのであるが前記乙五号証および証人杉山の証言によれば右骨折は極めて軽度のもので二週間位で自然に治癒し、レントゲン写真によらない限りこれを確認できない程度のものであつたことが認められるほか、負傷の原因、態様に関する隆の説明および患部の状況が先に認定したとおりであり捻挫としては比較的重いものであつたがその症状は捻挫特有のものであつたから、このような場合には骨折を疑うべき相当の理由がないものとして被告が第一回目の診療に際し、応急手当にとどめずに治療行為を行つたとしても、これをもつて柔道整復師の許容された限度を超えたもの、換言すれば医師の治療行為を受けるよう指示しなかつたものとして債務の本旨に反した履行がなされたということはできない。(なお原告隆および被告本人尋問の結果によれば、被告は一二月三一日隆を診断した際疾患の状況について骨折と捻挫の中間位のものである旨説明したことが認められるが、前記骨折の状況および被告本人尋問の結果によれば、被告は隆が若者であり安静を守らないおそれがあるので安静を遵守するための警告の意味で右のように説明したものであつて、被告が骨折があるものと判断していたものでないことが認められるから、このことは右認定を左右しない。)

2  次に一二月三一日以降の治療行為およびその際の指示等に不完全な履行があつたか否かについて検討する。

(一)  隆が負傷の当時施行中の「柔道整復師等に関する法律」(現行「柔道整復師法」)によれば柔道整復行為は何人もこれを自由に行うことを禁じられているほか、これを業とする者は免許を受けなければならないこととされ、免許の資格要件として文部大臣の認定した学校又は厚生大臣の認定した養成施設において四年以上解剖学、生理学等必要な知識、技能を修得した者であつて都道府県知事の行う試験に合格した者でなければならないこととされている。このことは、柔道整復師の行う施術が医業類似行為であつてこれを誤るときは人の生命、身体に危害が及ぶおそれが大であるからにほかならず、従つて柔道整復師は医師の程度までには至らないが、相当高度の専門的知識および技能を要求されることは当然である。

ところで、柔道整復師は前記のとおり限定された範囲および方法においてのみ治療行為が許されるに過ぎないから診療中の患者については前記1の(一)に述べたような角度から疾患の動向を常に観察し、柔道整復師として許容された範囲の施術をもつてしては回復が困難である場合は勿論、病状が通常の過程をたどらず悪化する徴候がある場合には施術を中止し、専門医による診療をうながし、これを受ける機会を失わせないようにすべきである。

(二)  ところで、先に認定した被告の治療行為をみるに、一二月三一日の治療行為とその際の指示はともかくも、被告は、一月三日の診察の際は、それまでほぼ丸三日間診療していなかつたこと、当時は真冬の寒い時期でありしかも患部一帯が極度に冷めたかつたことなどに鑑み、右三日間にわたる患部の状況、とりわけ疼痛や腫脹の経過、自宅でとつた措置などを詳細に隆から問診したうえ治療方法を検討し、特に患部付近一帯の保温について適切な指示をすべきであつたが、このような点について充分な配慮をした形跡がない。

また、一月四日および五日の治療の際には前認定のとおり患部付近が極度に冷めたかつたうえその部分殊に爪先、踵、足趾の皮膚は凍傷により発赤し又は暗紫色を呈しつつあつたのであるから、その付近の体温や感覚の有無などに注意を払い、凍傷の事実を発見し、直ちに医師にその治療をゆだねるなど適切な措置を講ずることが、債務の本旨に適つた診療行為と解すべきところ、被告は右皮膚の変化を、捻挫が治癒する過程で生ずる溢血斑であつてむしろ捻挫が快方に向つているものと速断し、右のような適切な措置をとらなかつたことは、債務の履行が不完全であつたものといわざるをえない。

五、ところで、前記甲五号証および証人杉山の証言を総合すれば、被告の右不完全履行がなければ隆の左足切断の事態には至らなかつたものであることが認められる。

そしてこのような不完全な履行が認められる以上、被告は債務者の責に帰すべき事由の不存在について主張、立証の責任を負うものと解すべきところ、これをしないから結局右債務不履行によつて生じた損害を賠償する責任があるものといわなければならない。

六、和解契約(示談)の抗弁について

1  原告佐田郎、同きく江が隆の父母であることは当事者間に争いのないところ、成立に争いのない乙三、四号証、原告佐田郎および被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、佐田郎は、隆、きく江をも代理して昭和四五年一月二七日ごろ被告との間に、「隆の件については被告が金四万円を支払うこととし以後原告らは被告に対し何ら異議を述べない」旨の和解(示談)をしたことが認められ、そのころ被告が四万円を佐田郎に支払つたことは当事者間に争いがない。そうすると原告らは、被告の隆に対する治療行為に関する損害賠償請求権を放棄したものということができる。

2  ところで、当事者が自由意思で損害賠償請求権を放棄した以上この拘束力をたやすく否定することは法的安定を害し、この種の合意(示談)の果している社会的役割を否定することとなる。しかし将来どのような異常な事態が生じようとも以後一切の請求ができないと解することも信義則に反することとなり、合意のなされた当時予想することのできなかつた損害がその後に判明し、合意当時の損害額が全損害額に比較して著しく均衡を失する場合には、右予想外の損害は契約の基礎となつた事項外のものとして後にその損害の賠償を請求できるものと解すべきである。

本件についてこれをみるに、証人杉山の証言および原告佐田郎、同きく江、被告各本人尋問(但し後記信用しない部分を除く)の結果を総合すれば、佐田郎は、隆が被告方で治療を受けている最中に杉山医院へ入院する結果となり、しかも入院も相当長期間に及んでいることや、被告に隆の負傷は既に全治したものと思われていては心外であるなどの事情から、同年一月二四日ごろ被告方を尋ねて隆の入院の事実やその経過を伝え、せめて入院費位は支払つて欲しい旨申し入れ、被告も原告らの立場を察して右要望をいれ、同月三〇日前記の示談が成立したものであること、前記契約の当時杉山医師は内心左足の指および踵部分の切断は免れないうえ、最悪の場合には下腿の切断もやむをえないものと予想していたが、なおまだ全治する望みも全く捨ててはいなかつたので、この段階で原告らに下腿部分の切断について明確な説明をしておらず、右切断が不可避である旨を告げたのは二月下旬であり、他方原告らも当時医師の治療に希望を託し、左足の切断についてはこれを予期しておらず示談交渉の際にも足の切断についての話し合いがなかつたことが認められ、被告本人尋問中右認定に反する部分は信用しない。

そうすると、右合意の基礎となつた事実関係に基づく損害即ち左足切断が不可避であることがほぼ判明した二月二一日より前の入院中の諸費用については重ねてこれを請求することはできないが、左足切断による損害は右合意の基礎となつた事項外のものとして前記損害賠償請求権放棄の合意に影響を受けることなく、その損害の賠償を請求できるものというべきである。

七、損害について

1  原告隆の損害

(一)  積極的損害

成立に争いのない甲三号証の一ないし一〇、証人杉山の証言および原告ら各本人尋問の結果によれば、隆は杉山医院に入院中の昭和四五年一月七日より同年四月五日までの間入院料、注射料、処置料、手術料、布団使用料、光熱費等入院中の諸費用合計六八、五一三円を同医院へ支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで、前記証拠によれば、右入院中の諸費用のうち左足切断が不可避であることがほぼ明らかになつた二月二〇日までの分は三五、六一三円であることが認められ、これについては前記のとおり示談の効果によりその賠償を被告に請求できないが、その余の分である三二、九〇〇円および後記損害については、示談成立当時予想できなかつた新たな損害として賠償請求ができる。

(二)  逸失利益

成立に争いのない甲六号証、原告ら本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すれば、隆は現在高校三年生であるが高校卒業後は他へ就職を希望していること、同人は左足切断の事故があるまでは身体上格別故障のない健康体であり高校卒業時の一八歳から六〇歳までは労働可能であること、同人に右事故がなければ高校卒業者として毎年少くとも三三万円(一か月当り二七、五〇〇円)の賃金を得ることができることが推測される。

ところで同人は左下腿切断という身体的障害を受けたため通常人に比較して労働能力が相当減少したほか就職先の発見についてもかなり困難であることは推測に難くなくこれらの事情を考慮すると同人は左足切断により通常人の労働力の五分の一を喪失したものと認めるのが相当である。

従つて同人が左足切断の事故により満一八歳から満六〇歳までの四二年間少くとも毎年六六、〇〇〇円(三三万円の五分の一)の利益を失つたことになるが、原告隆はこの金額を同人が一七歳当時の昭和四六年二月現在で一時に請求するものであるから、ホフマン式計算法(年別)により年五分の割合による中間利息を控除して算出するとその現在価格は一、四〇八、四八五円(円以下切捨)であり、同額の受べかりし利益を失つたこととなる。

(二)  慰藉料

原告は、前途春秋に富む一七歳にして左足首捻挫という比較的軽度の負傷に起因して左下腿切断という思いがけない重大な結果に至り、将来社会生活を営むうえに計り知れない幾多の制約を受けるであろうことを考えるとその心情は察するに余りがあり、その他本件全証拠によつて認められる諸般の事情を考慮すれば隆に対する慰藉料の額は金一〇〇万円をもつて相当と認める。

2  原告佐田郎、同きく江の慰藉料

原告佐田郎、同きく江が最愛の息子隆の左下腿切断によつて受けた精神的苦痛もまた大であり、その他諸般の事情を考慮すればその慰藉料の額は各自一〇万円をもつて相当と認める。

八、過失相殺について

診療が適切に行われるためには患者の協力が必要であることはいうまでもなく、また患者が診察を行う者の指示に従わなければならないことも当然であり、両者の間には相互信頼の関係が強く要求されるところである。

しかるところ、(1) 隆は既に述べたとおり一月一日夜半から患部に強い冷感を生じやがて激しい疼痛におそわれ、しかもその後次第にしびれるような症状を呈していたのであるから、これらの事情は遅くとも一月三日の診療の際には被告に詳細に伝えてしかるべきところ、これをした形跡がなく、また(2) 既に述べたとおり捻挫の早期回復には安静が肝要であることから、被告は最初の診療の際自宅での安静を指示し、その後も同様の指示を与えていたのであり、かつ安静を欠くことが凍傷を誘引する主要な原因の一つと考えられるところ、隆は必ずしも被告の右指示に従わず寒気の中を歯科医や友人宅に自転車に乗せてもらつて赴くなどし、さらに(3) 前記のとおり一月六日午前九時ごろ杉山医師から、重度の凍傷であるから直ちに入院して治療を受けるよう勧告されたにもかかわらず、相応の理由もないまま翌日まで入院を遷延していたのである。

また原告佐田郎、同きく江は隆の父母として、同人が当時一七歳で必ずしも思慮分別が充分でなくしかも血気盛んな若者であることに鑑み、診療の状況や患部の症状の変化などに配慮するは勿論同人が安静を欠くような行動に対して注意や助言を与え、また杉山医師から入院の勧告を受けた際にも機敏な対策を講ずるなどすべきであつたのに、これをした形跡がない。

そして、原告らがこれらの点について配慮していたならば左足切断という重大な結果を生じなかつたであろうことが推測できる。

してみるとこれらの事情は被告の債務不履行(不完全履行)に関して債権者たる原告らの過失として損害賠償額を算定するについて斟酌するのが相当である。

そしてこれらの過失を考慮すると、原告隆が被告に対して請求できる損害は前記(一)ないし(三)に認定した損害額の合計二、四四一、三八五円のうち金一五〇万円とするのが相当であり、原告佐田郎、同きく江が請求できる損害額は前記各一〇万円のうち各六万円とするのが相当である。

九、結論

以上のとおりであるから被告は原告隆に対し一五〇万円、原告佐田郎、同きく江に対し各六万円および右金員に対する債務不履行の後である昭和四六年二月六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 清野寛甫)

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